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マカオマラソン
マカオの夕べ

~1568年 歴史年表
日本史 マカオ史 西洋史
    1513 ジョルジェ・アルバレス 中国到着 1517 ルターの宗教改革
        1522 マゼラン世界一周
    1535 ポルトガル人による貿易開始 1534 イエズス会発足
1543 鉄砲伝来     1543 コペルニクスが地動説を発表
1549 F・ザビエル 鹿児島上陸        
      この頃、ポルトガル人が定住を始める 1552 F・ザビエル、マカオ近くの島で病死
1560 桶狭間の戦い        
    1557 明朝、ポルトガルにマカオの永久居留権を与える 1558 エリザベス1世即位
  この頃から石見銀のマカオ輸出始まる 1569 カルネイロが赴任、仁慈堂を建設    
1513年、ついにポルトガル人が中国にたどり着きます。

その一人が、現在マカオに記念碑として勇姿を伝えるジョルジェ・アルバレス。ポルトガル船団のアルバレス船長は、マラッカを出発して珠江河口を航行中、マカオと香港の間の小島に上陸したとされます。彼がマカオに上陸した史実は残っていませんが、のちにポルトガル文化をマカオに開花させる一歩をつくった人物として今も市民に知られています。

またアルバレスは、聖フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝える手引きをした人物でもありました。
1549年にザビエルが鹿児島へ上陸する2年ほど前のこと、ザビエルを慕ってマラッカまで旅してきた日本人ヤジロウを、ザビエルに引き合わせたのがアルバレスその人でした。ザビエルはヤジロウの話に触発され、日本へのキリスト教布教を思い立ったのです。

さて、マカオに上陸したポルトガル人たちは、ここが祖国に似た地勢であることに気付きます。リスボンのように“七つの丘”があり、坂道も広場もある。ポルトガル人のマカオ定住が始まったのは1553年頃のこと。そして1557年、明朝はポルトガルに対し、海賊の討伐で協力した代償としてマカオの永久居留権を与えたといわれています。ここからマカオは短期間のうちに発展をとげました。

丘には教会や修道院、砦が建てられ、石だたみの道や広場が造られ並木が植えられました。ポルトガルの石の文化と東洋の木の文化が共存した街づくりが始まったのです。マカオ半島南の丘陵地域にはポルトガル人社会、北部の田園地域には中国人社会が自然に形成されていきました。
またポルトガル人は、緑におおわれたタイパ島、コロアン島に別荘を建てて休日を過ごすというリゾート文化も持ち込みました。
なお、ポルトガルは居留権を獲得したものの、主権は中国が保持していました。
華僑は中国の法に支配されており、1573年には中国側へ地代の支払いも開始されています。一国二制度の歴史はすでにここから始まっていたのです。

マカオの発展を支えたのは貿易にほかなりません。
貿易を禁止されていた中国人商人たちはマカオに集まり、ポルトガル人を仲買人として日本との貿易を発達させます。
長崎~マカオ~広州ルートは実質的な日中貿易の基幹ルートとなり、中国からは絹が、日本からは当時世界有数の産出量を誇った石見の銀が輸出されました。銀はマカオを通じて、中国や遠くヨーロッパや南米まで運ばれていったのでした。