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マカオマラソン
マカオの夕べ

~1999年 歴史年表
日本史 マカオ史 西洋史
1912 大正天皇即位 1911 辛亥革命。翌年清朝滅び中華民国成立 1914 第一次世界大戦勃発
1941 真珠湾攻撃。太平洋戦争開戦 1941 戦時下、中立地帯になる 1939 独がポーランド侵攻、第二次世界大戦へ
1973 第一次オイルショック     1974 ポルトガル民主化革命(カーネーション革命)
1978 日中平和友好条約 1975 ポルトガル軍、マカオから撤退 1976 モントリオールオリンピック
1989 昭和天皇崩御。平成に改元 1987 中ポ共同宣言でマカオ返還を決定 1989 ベルリンの壁崩壊
    1999 中国返還 1999 コソボ紛争、NATO軍のユーゴ空爆
2005 愛知万博 2005 世界文化遺産に登録 2005 ローマ教皇パウロ2世死去
19世紀末から20世紀初頭にかけてのマカオは比較的平穏な時代でした。
一方、中国では1911年に辛亥革命が起き、翌年1月には孫文を臨時大統領として中華民国が成立します。
孫文はもともとマカオで医師業を始めたほか、世界遺産である鄭家屋敷の主であった思想家・鄭観應とも交流があり、西欧化されたマカオの自由な文化風土が孫文ら革命家の活動を後押ししたのかもしれません。
第二次世界大戦の勃発後は日本軍のアジア進出が始まり、香港は占領されましたがマカオにまでは進駐が及びませんでした。これは明治初期に日本とポルトガル間で結ばれた不可侵条約によるものでしたが、日本にはマカオを戦略的に中立化することで、様々な情報や物資を得る目的もあったようです。

1935年 澳門倶楽部
そしてこの時期、マカオは三度目つかの間の輝きを見せます。
戦争特需により華やかな舞踏会や演奏会が繰り広げられ、賭博場やレストランも大いに賑わいました。戦後、毛沢東率いる中国共産党がソ連の支援を受けて1949年に中華人民共和国を設立しますが、香港と同様に西側諸国との貿易や外貨獲得のルートとして、引き続きポルトガルによるマカオ統治を容認します。

1966年にマカオである事件が起きます。
建築許可に関する些細ないざこざから中国系市民とマカオ行政府との間で暴動が発生し、やがて中国系住民による反ポルトガル闘争へと発展します。

一方、1974年に本国ポルトガルでも民主化革命が起き、当時所有していた海外領土を放棄する方針を採ります。
しかし即時返還に至らなかったのは、同じく植民地下にある香港市民の動揺を中国が恐れたためと言われています。

1979年、マカオの主権は本来中国にあるとし、「ポルトガル統治による中国の領土」としてマカオが位置づけられました。
その後、1984年にイギリスと香港返還への道筋が付いた流れで、1987年に中国はポルトガルともマカオ返還の共同声明に調印します。
1999年12月、マカオの行政管理権は中国へ返還され、ついにアジア最後のヨーロッパ植民地が姿を消したのでした。

マカオは返還前の制度が向こう50年間保全されることになっており、「一国二制度」のもと、中国にあってポルトガル文化が生き続ける独自な存在なのです。

[出 典]
マカオ歴史散歩 (菊間潤吾著) 新潮社発行
南蛮のみち 街道をゆく22 (司馬遼太郎著) 朝日文庫発行
『ウズ・ルジアダス -ルーススの民のうた -』 (ルイス・デ・カモンイス著) 白水社刊

 

1956年 マカオグランプリ

 

1970年 セナド広場

 

孫文記念館