



中には世界遺産に匹敵する歴史背景をもった施設もあり、宗教施設の豊富さと質の高さは東西文化・宗教の交差点であるマカオならではです。
1622年に、オランダ艦隊の攻撃から逃げ延びた船員と乗客によって建てられたといわれ、ポルトガル人にとっては航海安全を祈る聖地として親しまれました。海の聖人ノートルダム・ド・フランスを祀っています。
1837年に再建され、現在の建物は1935年に全面的に建て直されたもの。教会前の中庭からは南湾や西湾、タイパ島など素晴らしい眺望が楽しめます。
また、毎年5月13日に聖ドミニコ教会から聖母像を運ぶ「ファティマ聖母マリアの行列」の最終地点でもあります。
10:00~16:00当初はハンセン病患者のための病院で、1569年に付属の礼拝堂として初代司教ドン・ベルキオール・カルネイロにより建立されました。
カルネイロ司教は仁慈堂の創設者でもあり、マカオに西洋医療を導入した人物として知られています。
現在の建物は1886年のもので、1967年にはファサードと祭壇が替えられ現代バロック様式となりました。
前庭には昔の礼拝堂で使われた十字架があります。付近は元中国人居住区であり、昔の街並みがそのまま保存されています。
07:30~17:30ザビエルは日本での布教活動後、マカオに向かう途中に南シナ海の上川島で病死。遺体はインドのゴアに葬られましたが、両腕を切り離し、片方はローマへ、片方はいったん日本に送られたものの、キリシタン弾圧のあおりを受けてマカオに移されました。
遺骨は1978年から聖ヨセフ修道院に引き取られるまで、およそ20年間、この小さな教会が大事に守り続けたのでした。
1885年、人口3000あまりの離島タイパ島にわずか35名しかいなかったカトリック教徒のために2年がかりで建てられました。
クリーム色と白を基調にした外観は瀟洒で、人気の結婚式場として使われることもたびたび。週末は毎週のように式やテレビ撮影のロケが行われ、華やかな雰囲気が漂います。
この一帯はマカオ有数のポルトガル風情を残す撮影ポイントです。
起源はポルトガル人が上陸する以前の13世紀にさかのぼり、現在の寺院は元朝時代の1627年に建てられました。
1844年には、アヘン戦争後に清朝とアメリカとの間で結ばれた不平等条約「清米友好通商条約」(通称「モンハ条約」)が締結された歴史の舞台となりました。
入り口から境内に入ると中は意外に広く、中心となる3つのお堂が順に並んでいます。
観音様が祀られているのは第三のお堂「本殿」で、蓄財のご利益があるとの信仰からか祭壇にはお供え物が絶えません。
観音の左右に従う18羅漢の左端に目を留めると、大きい鼻に巻き毛でどこか東洋人とは違う雰囲気。これは、中国で仏教に傾倒したといわれるマルコ・ポーロの姿を形取ったものといつのころからか言われています。
07:00~18:00
なし
無料境内にハスを浮かべた池があり、マカオでも最も美しい寺院として有名です。
また、廟正面にある歴史や神話の物語を描いた浮き彫りと、第一の殿と主殿の間の中庭に描かれた龍と鯉の陶製彩色壁も見どころ。
1592年に建立され、現在の建物は19世紀のもの。
旧国境関門に近いことから、中国の官吏がマカオを訪れる際の滞在場所としてよく使われました。
アヘンの密輸取締りを行った林則徐もここに逗留し、それを記念して寺院の前庭に「林則徐記念館」ができました。
1750年に建築され、その後数度の改築を経て現在に至ります。祭壇の関帝は彼の息子と旗手に側面を守られて座っており、お供え物を置くテーブルは美しく彫刻されています。康公祭は旧暦5月13日と6月24日に催されます。
後に信者によって寺院と僧院が拡大され、1930年代には黄色い屋根瓦がそびえる別棟と、大理石の台座に建つエレガントな観音像ができました。
僧侶は隣接している建物に住んでおり、園内にある大きな菜園で収穫した野菜を使って精進料理のレストランを運営しています。
新鮮な野菜を使い、創意を凝らした様々な料理を堪能することができる人気のレストランです。
































































































ペンニャ教会






























